16.November.2018

考えが頭で爆発しそうになると、ブログを書きたくなる。
そんな自分に気づいたりりです、ご無沙汰しています。


9月から、怒涛の変化が我が家に訪れた。
まず息子は小学校へ上がり、オットはもう一つの資格を取るべく、
働きながら週2で、電車で1時間半離れた町へ勉強に行くことに。
私はこの町の、自分の専門を活かした学校で子ども相手にバイトを始め、
それによって16ヶ月になった娘はベビーシッター(Tagesmutterなので、個人でやってる託児所、が近いかも?)
に、昼過ぎまで預けている。

それに加えて個人的に専門の活動をしているので、バタバタ。
最初はちょこっとだった仕事も、今や有難いことに、学校内の色々な部署の人から声がかかり、
あれもやってこれもやってとお願いされて、30過ぎてしばらくしてやっと、
専門を社会に還元できるという喜びを味わわせて頂いている。

若くて才能に溢れた子が出てくるのを目の当たりにすると、胸がチクチクするのは否めない。
私、別にいなくてよくない?とか。
それでも、こうやって必要とされていることは何を意味しているのだろうか?
と考え込んでしまう。
私の強みは何なんだろう?今やっていることは、私のこれからにどう影響してくるんだろう。

正直に言うと、私が本当にしたいことというのは、ここで働くことではない。
それでも、ここにいるというのも何かのご縁だから、きちんと仕事はさせていただいている。

私という存在がいなければ、そこに成り立つものが成り立たないのだよ、と教授は言ってた。
世界で、こここそが私のもの、という場所を見つければ、人は幸せになれるとも。

いくら私より優れた人が出てきても、そして私にその人のような技術がなくても、
私に代わる人なんかごまんといようとも、それで惨めな思いをしても、
それでも私は、私の専門をやめようとは思わない。
だから、この道でいいんだと思う。

オットは、もうダメだ、潮時だと心が言うまでやれと言われている。
それが明日になるか、死んでも訪れないか、それは分からない。
だから今日できることをしよう。


頑張ります!




7.August.2018

その翌日が、骨髄摂取。この辺で何の検査をどの順番でしたかの記憶は、完全に曖昧。

覚えているのは、ベッドごと、がらがらと、どこかの部屋へ運ばれ、
ベッドの端に座らされたこと。
私の向かいに看護師さんが立ち、動かないよう両肩を抱えられる。
洋服を上げ、腰付近が出るようにされる。

はい、動かないでねー。ちょっとちくっとするよ。の後


ぶす、じゅじゅるるるるる、ズーーーーーーーーー

という直接的な感覚と音が頭を駆け巡り、ビックリする。
そのまま液を取られながら、


おおおおおおおお!なんか、新しい感覚ですね!


などと叫ぶ私。動くな、と再びツッコミが入る。
…もう、何がなんだか。

検査を終えて、今日はお風呂に入らないでと念を押され、病室に戻る。


ここで現れたのが、世にも奇妙な部長医(Chefarzt)さん。
一人でぷらっと病室に現れ、症状に関する軽い問診の後、

「君、職業は何?あ、そう!楽器弾きさん! うちの病院にもあるよ。
入院中にも弾けるように、受付にかけあってあげようか?いいね!すばらしい!」

と朗らかにおっしゃったが、それなりに重症の髄膜炎患者に言うセリフ?それ。
彼の発言は、この状況に一切合ってない。

この人は、後日私が頭痛にのたうちまわってナースコールを押し、
なぜか現れた彼に鎮静剤をお願いしたとき、

「エェッ、鎮静剤?(←素っ頓狂な声で)あ、えっと、それは素敵な考えだね!
 看護師に言っとくわ!お大事に!」


とぬかしていなくなり、私を呆然とさせてくれた。
本っ当ーにどこか頭のネジの外れた人だった。医者以前に、人間性がやばい。
殺意や怒りすら沸かず、呆然と、このまま死ぬのかな、と思った。

この日、脳波検査EEGもした。この時のことは、全く覚えていない。

*

後日、この日の採血によって出たCRP数値が、31だったと知らされる。

Wikiからの抜粋↓
基準値

  • 正常範囲 0.3 mg/dl以下
  • 軽い炎症などが検討される範囲 0.4〜0.9
  • 中程度の炎症などが検討される範囲 1.0〜2.0
  • 中程度以上の炎症などが検討される範囲 2.0〜15.0
  • 重体な疾患の発症の可能性が検討される範囲 15.0〜20.0


上限振り切ってる。

私、なぜ今生きているんだろう…。本当に、後遺症もなく生きている今が奇跡だ。

この日まではまだ、点滴による治療がなかった。
翌日から、地獄が始まる。

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5.August.2018

ふと、髄膜炎で入院していた時のことを思い出した。
(アナログの日記を読んで、ふと詳細を思い出した。)

成り行きはこちら。
高熱記録更新
髄膜炎(疑惑)と入院

入院してすぐ、頭部のMRT(MRI?)をとることになる。
私はあれがどれだけ恐ろしいものか知らなかった。

狭い筒のような所に差し込まれ、色々なところから発せられる大きな低い音を、
聞かされ続ける。
あまりにも大きな音だから、撮影中に防音を兼ねたヘッドフォンを付けることになる。

で、事前に、そのヘッドフォンからどんな音楽を流すかを、検査前に紙で指定できる。
音楽は、レディガガからクラシック、ジャズまで取り揃えてあった。
ひとまず、テンションが上がりそうなクラシックを選んで提出したら、

「あ、りりさんの場合はですね、頭部なので、残念ながら音楽でなく耳栓です☆」

と返ってきて、がっくし。一生懸命選んだんだから、先に言っといてちょ。
頭部以外の場合は、ゆったりと音楽を聴きながら検査していただけるそうだ。

耳栓を詰められる、頭を固定される、寝かされる。

「決して動かないでくださいね」

と念を押され、検査開始。
狭い筒に入れられる、と分かった時点で、閉所恐怖症の私は、
絶対に目を開けてはいけない!思考を他へ飛ばせ!と自分に言い聞かせた。

耳元で「ビー」、お腹のあたりで「ビー」、足元で「ビー」。
かまぼこの内部へ入れられた私の周囲で、色んな低音が聞こえる。

何を当時考えていたか全く理解できないが、妄想の中では

怨霊憑きの私は寝かされたまま寺に通され、お坊さんにぐるっと囲まれる。
(分かってます、それ系は本来、おそらく神主さんの仕事でしょう…)
そして、上半身だけのお坊さん達が、彼ら自身が怪しい怨霊であるかのように、
私の周囲で、ボインボインと念仏を唱えている!

そんな映像が頭に流れ、思わず ブフー!と噴出しそうになる私

ダメ、りり!絶対に動いちゃダメ!声を出してはダメ!

と、このかまぼこ検査を繰り返したくない私は、自らの妄想と戦う。
もちろん、絶対に目を開けない、は守る。
自分が狭いかまぼこ内に挿入されているという現実を知ったら、
私は発狂して叫ぶだろうから。

どのくらい経ったか分からないが、寝かされていたベッドが
かまぼこ外部へにゅーんと引き出され、終わった事が知らされる。


終わった直後も、妙にハイで、へらへら笑って技師さんに
「めっちゃ面白かったです」とか言った私。
絶対に何かおかしい兆候はここで見えていた。
目つきとか絶対にやばかった。



時間がある時に、続きます。

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2.August.2018

娘のおっぱいが終わった。12ヶ月とちょっとの授乳だった。


1週間の特講参加は、私にとっても実りの多いものだった。
4回のプレゼン、4回の個人指導などなどがあった。
1週間家を離れるにあたって、家よりも町が近い所での特講だったので、
時間が空いたら町に行って、お店でも回ろうかとうきうき考えていたのだが、
結局は勉強のことしか考えられず、専門外の指導にもあちこち顔を出して、
みっちりと学んできた。

一人の時間を楽しめたかというとそうでもなく、結構寂しいと思うことが多かった。
なので、何度も家に電話して、愚痴を聞いてもらったり、子どもたちの様子を
聞いたりしてしまった。

で、そこで上がる話題のひとつはもちろん、突然おっぱい(りり)を失った娘。
娘は、一日中私を探す素振りを見せ、寝る時にも「おっぱいがないわよ!」と
大騒ぎしたらしい。そこで、オットは抱っこ紐に娘を入れ住居を歩き回り、
寝たら、そのままもっと娘が深く寝入るまで10分くらい動き続け、
そおっと布団に横たわり、そっと抱っこ紐から娘を引き出し布団に寝かせ、
ちょっとぐずったらお腹をポンポン、という手順を踏み、
娘を見事におっぱいなしで寝かせたそうだ。
夜中も2度ほど起きたらしいが、この手順で朝まで何とか過ごしたと。

私が髄膜炎で倒れた時よりもよっぽど楽だよ!と、ほっとさせてくれた。


寝かし付けは、日を追うごとに簡単に行くようになったそうだ。
本来、断乳の際は母親が苦労するはずなのに、我が家ではオットがすべて
こなしてくれてしまった。
(オットは私のいない間、私と彼の共通の友人を呼んで、息子のニーズにも
すぐに答えられるようにしてくれた。その友人にも感謝。)
本当に、ありがたいといったらない。


私が戻って、生まれてから一度も私と1週間も離れたことのない息子は、
私を窓から見るなりすぐに降りてきてぎゅーしてくれて、
そこから私と目が合うと、照れくさいような表情を見せてまた抱きつくし、
娘は寝起きで私を見て、「あ、誰コレ?見覚えある」みたいな怪訝な表情から、
雲が晴れたように、ぱあっと明るい顔をしてくれたし、
私のオットも嬉しそうだったし、うーん、たまにはこうやって家を空けるのも
いいのかな。...なーんて。

*

最近、頭をオットに刈られた息子。ソフトモヒカンにされて、私ショック。
でも坊主よりはまし(数ヶ月前は坊主だった)…!と思いつつ、
長い髪の毛の時の方が可愛かったのに、と当時を思い返してしょげている。
オットのお母さんに愚痴ったら、お母さんもオットに即
「息子は長い髪の方が可愛いと思うよ!」と伝えてくれたものの、
息子本人が最高にクールだ!と大喜びでにこにこしているので、どうにもできない。

いつまでも子どもは親の思い通りになんかならないよなあ。
「アタシの息子はこういう見た目で、こう行動するべき」というコントロール狂から
この辺で抜け出さんといかんかな、なんて思っている。
もちろん、人様にご迷惑をかけるような子にならない程度にね。

おっぱいを終えた娘も、口を開けば「にゃむ」(娘語で、食べるの意)
「ぱん」(娘語:パンに限らず、食べ物一般)を1時間ごとに繰り返し、
今まで飲まなかったお水も400mlは飲むようになり、ご飯もやっと、
220gを完食できるようになってきた。
1歳を越えてもまだ70cmと8kgのおチビさんなので、ここから大きくなってくれたらいいな。

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猫と戯れる息子。ご近所には割と猫がいっぱいです。
私自身も、生まれてからドイツに来るまでずっと猫と過ごしていた。
オットが猫アレルギーじゃなければ、猫をすぐにでも飼うんだけど。

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9.Juli.2018



というのは、皆きっと持っていることだと思う。

霊が見える、と言い張って「あの家が怖い!」と演技して過ごした日常があったとか
クラスメイトの鉛筆を無断で失敬して返し忘れたのは自分なのに、
その後 学級会で紛失が取りざたされて、言い出せずに黙っていたとか、
私はやけどしないから大丈夫! とクラスメイト全員の前で、教師が止めるにも拘らず
アルコールランプの火を手でさえぎろうとして、見事にランプを倒して
クラスのみんなに白い目で見られたとか、
スーパーにある透明の袋を、指先につばをつけて湿らせて開けることがかっこいいと思っていたとか、
道を歩いているだけで小鳥が寄ってきて、肩に止まるものだから
お弁当を勝手についばまれちゃって困ると言い張ったとか、



ええ、皆私ですが何か。



もう、思い出すだけで、恥ずかしくて消えちゃいたくなる…。




こういうのを就寝直前に思い出したらもうアウト。
うわあああやめてくれええと叫んで、頭から布団をかぶっても何も変わらないどころか、
弁解をしても家族から胡乱な目で見られるのが痛い。



昔々、そのまた昔、20歳以上年上の人といい仲になったことがある。
当時、当時の彼はいた。
何を思ったか、平行してその独身貴族との逢瀬を楽しんで、
細く長く連絡を取り合っていたのだが、
彼に常識はずれの失礼な発言をしたかどで立腹させてしまい、
暫く連絡が途絶えていたのだが、最近ふと、こちらから連絡してしまった。
で、彼の専門を根本的に馬鹿にした当時の発言について、謝った。

非常に自分勝手だけれども、それで私は満足した。長年胸につかえていたもので。
相手方も、もう私の発言を気にはしていないようだったのは、ありがたいことだった。
また飲もうというお誘いは、「あなたにはもう興味ない、オット以上の人はおらん」
と断った。


私は、オットと一緒にいるのが一番幸せだし、
その独身貴族とは物理的に距離もあるし、偶然にも会う可能性は、ほぼない。
「何か」が起こる可能性はマイナスにふれるほど、ない。

とはいえ、なんとなーくもにょもにょ。
どう もにょもにょかと言うと、そもそも連絡取る必要あった?という点において。




どうやらまた、黒歴史を増やしてしまったようだ。
おばか。


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26.Juni.2018

何年経ってもなるたけ行きたくない場所:

外国人局。

そして、私とオットはどうも、色んなご縁でドイツに滞在させて頂いていると
思ったおはなし。


*


現在私には、EU出身者(=息子)の親としてのビザがおりている。
これで私は滞在にしばらく問題はないが、今回外国人局に行ってひやっとしたのは
オットである。

現在彼は、4人家族を養うには到底足りない収入なのだけれど、
私が息子とつながるビザを持っているので、私・息子で ひとくくりと考えられ、
オットは、オットと娘だけ、2人分の生活費を稼いでいればよい、とみなされて、
1年間の労働許可が下りていた。実際は4人家族だけど。
(しかしながら娘の滞在許可は、なぜか私と同じく2020年まで出ている。
オットと同じ家にいる、とみなされているのなら、本来ならオットと同じ長さの
滞在許可が出るはずなのに。)

今回の更新でもそれが通じるかな、と思いきや、ここにきて
4人家族分の収入がないので、労働許可はおろせません、と来た。

そもそも、今まで「2人(オットと娘)分のみ稼げばよい」とされていた判断は、
役所の手違いだった、と言われる。
…あれ、これ聞き覚えがある。
ドイツにいてはいけなかったおはなしと、赤父のおはなし
本来、オットには労働許可はおりてはいけなかった、とつまりはそういうことです。


さあ私とオット、パニック。オットの職場もビックリ。
寝耳に水とはこのことか。

オットは丁度、来年度に、働きながらの職業訓練をもう一度始めるつもりだから、
滞在許可を学生として取得して、仕事は学生としてできる範囲内でのみして、
生活に足りない分は貯金で何とか補おうか、とかあわあわ考えている間に、
外国人局の方からご連絡をいただき、
どうやらもう一年だけ延長していただけるようだ。

収入は少ないけれど、1年間は貯金で補える、と判断されたらしい。
あとは、外人局のお姉さま方を滔々と説得したオットの人柄。
ありがとうございます…。

役所のミスに助けられて(?)ドイツ滞在しているということでした。
「住まわされている」、「ここに生かされている」そんな気がする。
私たちには、何か、ここでやらなければならないことがあるのかも知れない。
きちんと生きなくちゃ。

*

私個人は、7月末に、専門の特講を受けることになった。
泊りがけで1週間弱、専門漬け。しあわせ。
自分がそこで教えるから来たらどう?と学生時代の教授から聞いたのが
特講開催の1ヶ月前、そこからいきなり参加を決めたので、準備でひいひいしている。
その間、2人の子どもをの世話を含めたサポートを担当してくれるのは
もちろん、オット。
家を1週間弱空けるので、1歳の娘の入眠サポートをどうするか、会議もする。

結論:
ちょっとずつ、おっぱいやめましょう。

文字通り3度の飯よりおっぱいが好きな娘、何とかなるだろうか。
とはいえ、今は基本的に夜しかあげていない。
昼間はだましだまし、水をあげている。が、おっぱいに勝るものなし。

新しい入眠習慣を作ってあげないといけなそうです。
がんばろう…。


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