August 2018

7.August.2018

その翌日が、骨髄摂取。この辺で何の検査をどの順番でしたかの記憶は、完全に曖昧。

覚えているのは、ベッドごと、がらがらと、どこかの部屋へ運ばれ、
ベッドの端に座らされたこと。
私の向かいに看護師さんが立ち、動かないよう両肩を抱えられる。
洋服を上げ、腰付近が出るようにされる。

はい、動かないでねー。ちょっとちくっとするよ。の後


ぶす、じゅじゅるるるるる、ズーーーーーーーーー

という直接的な感覚と音が頭を駆け巡り、ビックリする。
そのまま液を取られながら、


おおおおおおおお!なんか、新しい感覚ですね!


などと叫ぶ私。動くな、と再びツッコミが入る。
…もう、何がなんだか。

検査を終えて、今日はお風呂に入らないでと念を押され、病室に戻る。


ここで現れたのが、世にも奇妙な部長医(Chefarzt)さん。
一人でぷらっと病室に現れ、症状に関する軽い問診の後、

「君、職業は何?あ、そう!楽器弾きさん! うちの病院にもあるよ。
入院中にも弾けるように、受付にかけあってあげようか?いいね!すばらしい!」

と朗らかにおっしゃったが、それなりに重症の髄膜炎患者に言うセリフ?それ。
彼の発言は、この状況に一切合ってない。

この人は、後日私が頭痛にのたうちまわってナースコールを押し、
なぜか現れた彼に鎮静剤をお願いしたとき、

「エェッ、鎮静剤?(←素っ頓狂な声で)あ、えっと、それは素敵な考えだね!
 看護師に言っとくわ!お大事に!」


とぬかしていなくなり、私を呆然とさせてくれた。
本っ当ーにどこか頭のネジの外れた人だった。医者以前に、人間性がやばい。
殺意や怒りすら沸かず、呆然と、このまま死ぬのかな、と思った。

この日、脳波検査EEGもした。この時のことは、全く覚えていない。

*

後日、この日の採血によって出たCRP数値が、31だったと知らされる。

Wikiからの抜粋↓
基準値

  • 正常範囲 0.3 mg/dl以下
  • 軽い炎症などが検討される範囲 0.4〜0.9
  • 中程度の炎症などが検討される範囲 1.0〜2.0
  • 中程度以上の炎症などが検討される範囲 2.0〜15.0
  • 重体な疾患の発症の可能性が検討される範囲 15.0〜20.0


上限振り切ってる。

私、なぜ今生きているんだろう…。本当に、後遺症もなく生きている今が奇跡だ。

この日まではまだ、点滴による治療がなかった。
翌日から、地獄が始まる。

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5.August.2018

ふと、髄膜炎で入院していた時のことを思い出した。
(アナログの日記を読んで、ふと詳細を思い出した。)

成り行きはこちら。
高熱記録更新
髄膜炎(疑惑)と入院

入院してすぐ、頭部のMRT(MRI?)をとることになる。
私はあれがどれだけ恐ろしいものか知らなかった。

狭い筒のような所に差し込まれ、色々なところから発せられる大きな低い音を、
聞かされ続ける。
あまりにも大きな音だから、撮影中に防音を兼ねたヘッドフォンを付けることになる。

で、事前に、そのヘッドフォンからどんな音楽を流すかを、検査前に紙で指定できる。
音楽は、レディガガからクラシック、ジャズまで取り揃えてあった。
ひとまず、テンションが上がりそうなクラシックを選んで提出したら、

「あ、りりさんの場合はですね、頭部なので、残念ながら音楽でなく耳栓です☆」

と返ってきて、がっくし。一生懸命選んだんだから、先に言っといてちょ。
頭部以外の場合は、ゆったりと音楽を聴きながら検査していただけるそうだ。

耳栓を詰められる、頭を固定される、寝かされる。

「決して動かないでくださいね」

と念を押され、検査開始。
狭い筒に入れられる、と分かった時点で、閉所恐怖症の私は、
絶対に目を開けてはいけない!思考を他へ飛ばせ!と自分に言い聞かせた。

耳元で「ビー」、お腹のあたりで「ビー」、足元で「ビー」。
かまぼこの内部へ入れられた私の周囲で、色んな低音が聞こえる。

何を当時考えていたか全く理解できないが、妄想の中では

怨霊憑きの私は寝かされたまま寺に通され、お坊さんにぐるっと囲まれる。
(分かってます、それ系は本来、おそらく神主さんの仕事でしょう…)
そして、上半身だけのお坊さん達が、彼ら自身が怪しい怨霊であるかのように、
私の周囲で、ボインボインと念仏を唱えている!

そんな映像が頭に流れ、思わず ブフー!と噴出しそうになる私

ダメ、りり!絶対に動いちゃダメ!声を出してはダメ!

と、このかまぼこ検査を繰り返したくない私は、自らの妄想と戦う。
もちろん、絶対に目を開けない、は守る。
自分が狭いかまぼこ内に挿入されているという現実を知ったら、
私は発狂して叫ぶだろうから。

どのくらい経ったか分からないが、寝かされていたベッドが
かまぼこ外部へにゅーんと引き出され、終わった事が知らされる。


終わった直後も、妙にハイで、へらへら笑って技師さんに
「めっちゃ面白かったです」とか言った私。
絶対に何かおかしい兆候はここで見えていた。
目つきとか絶対にやばかった。



時間がある時に、続きます。

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2.August.2018

娘のおっぱいが終わった。12ヶ月とちょっとの授乳だった。


1週間の特講参加は、私にとっても実りの多いものだった。
4回のプレゼン、4回の個人指導などなどがあった。
1週間家を離れるにあたって、家よりも町が近い所での特講だったので、
時間が空いたら町に行って、お店でも回ろうかとうきうき考えていたのだが、
結局は勉強のことしか考えられず、専門外の指導にもあちこち顔を出して、
みっちりと学んできた。

一人の時間を楽しめたかというとそうでもなく、結構寂しいと思うことが多かった。
なので、何度も家に電話して、愚痴を聞いてもらったり、子どもたちの様子を
聞いたりしてしまった。

で、そこで上がる話題のひとつはもちろん、突然おっぱい(りり)を失った娘。
娘は、一日中私を探す素振りを見せ、寝る時にも「おっぱいがないわよ!」と
大騒ぎしたらしい。そこで、オットは抱っこ紐に娘を入れ住居を歩き回り、
寝たら、そのままもっと娘が深く寝入るまで10分くらい動き続け、
そおっと布団に横たわり、そっと抱っこ紐から娘を引き出し布団に寝かせ、
ちょっとぐずったらお腹をポンポン、という手順を踏み、
娘を見事におっぱいなしで寝かせたそうだ。
夜中も2度ほど起きたらしいが、この手順で朝まで何とか過ごしたと。

私が髄膜炎で倒れた時よりもよっぽど楽だよ!と、ほっとさせてくれた。


寝かし付けは、日を追うごとに簡単に行くようになったそうだ。
本来、断乳の際は母親が苦労するはずなのに、我が家ではオットがすべて
こなしてくれてしまった。
(オットは私のいない間、私と彼の共通の友人を呼んで、息子のニーズにも
すぐに答えられるようにしてくれた。その友人にも感謝。)
本当に、ありがたいといったらない。


私が戻って、生まれてから一度も私と1週間も離れたことのない息子は、
私を窓から見るなりすぐに降りてきてぎゅーしてくれて、
そこから私と目が合うと、照れくさいような表情を見せてまた抱きつくし、
娘は寝起きで私を見て、「あ、誰コレ?見覚えある」みたいな怪訝な表情から、
雲が晴れたように、ぱあっと明るい顔をしてくれたし、
私のオットも嬉しそうだったし、うーん、たまにはこうやって家を空けるのも
いいのかな。...なーんて。

*

最近、頭をオットに刈られた息子。ソフトモヒカンにされて、私ショック。
でも坊主よりはまし(数ヶ月前は坊主だった)…!と思いつつ、
長い髪の毛の時の方が可愛かったのに、と当時を思い返してしょげている。
オットのお母さんに愚痴ったら、お母さんもオットに即
「息子は長い髪の方が可愛いと思うよ!」と伝えてくれたものの、
息子本人が最高にクールだ!と大喜びでにこにこしているので、どうにもできない。

いつまでも子どもは親の思い通りになんかならないよなあ。
「アタシの息子はこういう見た目で、こう行動するべき」というコントロール狂から
この辺で抜け出さんといかんかな、なんて思っている。
もちろん、人様にご迷惑をかけるような子にならない程度にね。

おっぱいを終えた娘も、口を開けば「にゃむ」(娘語で、食べるの意)
「ぱん」(娘語:パンに限らず、食べ物一般)を1時間ごとに繰り返し、
今まで飲まなかったお水も400mlは飲むようになり、ご飯もやっと、
220gを完食できるようになってきた。
1歳を越えてもまだ70cmと8kgのおチビさんなので、ここから大きくなってくれたらいいな。

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猫と戯れる息子。ご近所には割と猫がいっぱいです。
私自身も、生まれてからドイツに来るまでずっと猫と過ごしていた。
オットが猫アレルギーじゃなければ、猫をすぐにでも飼うんだけど。

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